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ヘトヘトもへと 

 2009.7.12

 6時起き。7時42分の新幹線で新山口へ。駅から車で約1時間。のどかな田園風景を眺めているうちに、仙崎湾が見えてきた。山口県立劇場ルネッサながとに到着。今日も今日とて「文珍独演会」。この3日間、四国、関東、中国……行き先はバラバラである。
 元来た道を引き返し、新大阪に着いたのは22時28分。もうヘトヘト。
 帰宅後、明日の十三寄席の稽古……と思うが、先に汗を流して、睡眠を摂るほうがいいかも。それでも1時半まで起きて、なにかとゴジャゴジャ。
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安中なかなかごもっとも 

2009.7.11

 ゆうべは夢見が悪く、起きてからもスッキリしない。とにかくシャワーで洗い流してこよう。
 8時10分、ホテル出発。9時30分のJAL1432便で徳島から羽田へ飛ぶ。ジャンタクで東京駅へ移動。今度は長野新幹線に乗り、高崎へ向かう。群馬県安中市文化センターへやってきた。今日は久しぶりに出番がある。

全国47都道府県ツアー 「桂文珍独演会」(15時開演)

『動物園』    月亭 八天
『住吉駕籠』   桂  文珍
『ちりとてちん』 桂  楽珍
『風呂敷』    桂  文珍
      仲入り
『そこつ長屋』  桂  文珍


三味線:林家 和女
鳴 物:林家うさぎ
お茶子:林家 市楼
 

 東京経由で新大阪に戻ってきたが、考えれば明日は朝イチで山口県長門市へ行く。このまま新山口まで行って泊まりたいところだ。ただ最終の新幹線がないんだとか……。ああ、移動がタイヘン。 

阿波あわわ 

2009.7.10

 ヨドバシを素見したあと、新梅田食堂街の
マルマンで、例のライトランチ。やはり定番はいつまで経っても定番である。GAREで涼をとって、大阪駅桜橋口バスターミナルへ。本日のメンバー、楽珍兄、文華くん、市楼くん、吉崎律子さんと高速バスに乗り込んだ。外は雨がシトシト降っている。
 やがてバスは徳島へ向けて走り出した。明石海峡大橋を渡り、2時間40分で徳島マリンピアに到着。そこから車で約10分。
徳島市立文化センターに入る。
 四国放送主催「文珍独演会」は18時半開演。
 終演後、「
徳島魚問屋 とと喝」にて、おいしいお魚をいただいた。新鮮なお造り、鯛のあらだき、あゆの塩焼き、そば米汁、鯛めし……。お酒は徳島の地酒「芳水」。
 1時、ホテルの部屋に入ってバタンキュー。
 と、3時半頃、目が覚めた。歯を磨いていないことに気づき、すぐに洗面所へ。さあそれからは、なかなか寝付けず、虚ろなまま夜明けを迎えることになった。

ツケ歓迎 

 2009.7.9

 14時、遅ればせに繁昌亭楽屋口の扉を開くと、そこに衣裳を着替えた師匠が立っていた。出番一本前。『質屋芝居』をされるという。
「ちょうどよかった。八天師匠が来はったさかい、下座、お願いしますわ」
 時折、うちの師匠は、わたしを「八天師匠」と呼ぶ。その度にわたしは、おいどこそばいのである。昨日観た「蜷川歌舞伎」の話を師匠にした。「ぜひ師匠もご覧ください」と。予てより師が計画している「吉本歌舞伎」の参考になるはず。
 さて、『親子酒』で客席を爆笑の渦に巻いた竹林兄が、高座から下りて来られた。出囃子「夫婦万歳」が流れる。師の出である。今日は楽屋に手があるので、わたしはツケに回ることになった。
 昨日の芝居でもツケは大活躍した。とくにプロローグ、船が難破するシーンでは、大太鼓による雨や雷の音とともに電子効果音が使われ、そこにツケがかぶさる。わたしは芝居もさることながら、常にツケ打ちを視野に入れていた。昨日はいろいろと勉強させてもらった。その成果がこんなに早く発揮できるなんて。
 そのあと文三襲名の口上には、八方書記長をはじめ、春之輔幹事長、きん枝理事、文福理事が並んだ。それぞれのユニークな弁で、舞台袖も和やかなムードに包まれる。やはり噺家は面白い。
 今日は早めの帰宅して、稽古に励もう。でも暑い。暑すぎる。裸ん坊になり、汗ダラダラ流して稽古なんて……相撲取りみたい。

鏡の中のマリオネット 

 2009.7.8
 
 久しぶりの芝居行き。16時から道頓堀松竹座にて、「NINAGAWA 十二夜」を鑑賞。前から5列目のほぼ真ん中。
 
shochikuza200907b_handbill.jpg
 
 菊五郎・菊之助親子の2役早替わりは見事なものだ。とくに菊之助丈扮する双子の兄妹、斯波 主膳之助(しば しゅぜんのすけ)と獅子丸〜実は琵琶姫の衣装替えの早いこと。芝居が進むにつれ、着替える時間がだんだん早くなり、最後はふたりが一度に登場する(?)マジックまで披露。袖に引っ込み、衣装を替えて、次に出てくるまで、数えてみたら、最短で20秒くらいか。時間との勝負。舞台裏は、さぞや慌てふためき、ときにテンテコ舞いしているに違いない。本人は、男の声、女の声、中性的な声の3つを使い分ける。至難の業だ。お父さんの丸尾 坊太夫と捨助(すてすけ)も同一人物とは思えないほどのキャラ作り。それをサラッとやってしまうところに、親として、師匠としての重みが感じられる。
 歌舞伎とシェークスピアと蜷川ワールドの融合。バックサイドに鏡を使っているのも、似た者同士を意味している。
 また、亀治郎さんの麻阿(まあ)もよかった。あの人のハマリ役だ。左團治・翫雀・團蔵各師のオバカトリオも笑いを誘う。そして、なんと言っても、時蔵さんの織笛姫(おりぶえひめ)にはホレボレした。あの、酸っぱいものを食べたときのような表情がたまらない(わたし流の褒め言葉)。
 蜷川幸雄氏の芝居は、過去に「近松心中物語」「新・近松心中物語」を観たが、やはりこの方独特のにおいがする。これぞエンターテーメント。今回はコメディタッチであったが、どの作品にせよ、観ながらにして、芝居の中にグングン引き込まれていく様が自覚できる。古典歌舞伎とは、また違った感覚である。隣に座り合わせた6歳くらいの子どもがゲラゲラ笑っている。周囲のおばさんたちも終始大笑い。こんなに面白く仕立てた歌舞伎は初めてだ。
 
 その余韻に浸りつつ、阪町の「九州八豊やせうまだんご汁」へ。城下カレイ、関アジ、鱧の天ぷら、馬刺三角ロース、たてがみ、やせうま汁……ううん、いい芝居のあとに、いい料理。そして、ほのぼのとしたおかみさんの笑顔も、またいい。至福のときである。お酒は福来、大吟醸八鹿、吟醸万年山をいただき、ほろ酔い加減で帰路についた。
 いやあ、今日はほんとに楽しかった。
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HN:
月亭八天
年齢:
64
HP:
性別:
男性
誕生日:
1960/09/12
職業:
落語家
自己紹介:
上方落語家・月亭八天
 1960年(昭和35)、大阪市中央区日本橋1丁目(日本一)生まれ。近畿大学在学中はミナミのライブハウスで弾き語りをしながら、音楽アーティストを夢見ていたが、次第に子どものころから憧れていた落語家を志望するようになる。4年間の落語浪人を経て、1986年(昭和61)3月、大学卒業と同時に月亭八方師に入門。
 京・大坂の風俗と人情を生き生きと描いた上方落語を演じるべく、落語に登場する生活風俗や舞台となった大阪の町などを徹底的に考察することを身上とし、「八天流」の芸を追求している。また歌舞伎や文楽など古典芸能にも造詣が深く、数少ない寄席の囃子方として笛を受け持つ。
 1996年(平成8)5月、なにわ芸術祭落語部門最優秀新人賞受賞。併せて大阪府知事賞、大阪市長賞受賞。また平成9年度大阪府芸術劇場奨励新人に指定。
 精力的に地域寄席をプロデュースしており、「十三寄席 噺のにぎわい」(大阪・十三)をはじめ、「八天の会」(大阪・森之宮)、「兵庫八天の会 やなぎはらYEBISU亭」(神戸・柳原)「HATTENプロジェクト会議」(大阪・梅田)」など、大阪、神戸の各地域で独演会形式の落語会を開催。また地域寄席「上新庄えきまえ寄席」では、「HATTENらくごワールド」と題し、年2回(2月・8月)、3席ネタ卸しに挑戦。2006年春からは、坂田三吉で有名な通天閣を見上げる将棋屋で「新世界ジャンジャン寄席」が、大阪市中央公会堂では、小説家・田中啓文氏とのコラボレーション「落語再生公開堂 ハナシをノベル!!」が、2007年から国立国際美術館(肥後橋)で「月亭八天のアートな落語会 みゅ〜じあむ亭」が、なんばパークスの書店では「&音寄席 大大阪大八天の会」がスタート。
 その集大成として、毎秋、ワッハホール(大阪・なんば)での独演会で、聞けば幸せになる八天の「しあわせ落語」を結実させている。ただいま東京での独演も計画中。
 芸歴20周年を記念して「HATTENカーニバル」と題した感謝祭が様々な形で展開。
 2005年11月の「第10回 月亭八天独演会(320名動員)」を皮切りに、12月に〜兵庫八天の会〜「第10回 やなぎはらYEBISU亭(100名動員)」、2006年3月16日の入門記念日を挟んで10日間の連続公演「ALL THAT HATTEN 10days(通算300名動員)」、4月に「第30回 十三寄席 噺のにぎわい(新僑飯店宴会場にて300名動員)」、6月に「第20回 RENEWAL八天の会(大阪KKRホテルにて280名動員)」、11月に「第11回 月亭八天独演会」と続く。
 1997年(平成9)から、自作のホームページ「HATTEN WORLD」を開設。落語会の案内、入門秘話など豊富なコンテンツを掲載している。「DIARY」では日記を公開。落語会の様子、稽古の苦悩、他の落語家たちとの交流などを書いて好評を得ている。毎日更新中。