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寄りみち 

2009.6.1

 いまブログを12件持っている。いずれも内容は同じだが、書き込み方法が違うものがある。Yahooやmixiなどは、ハイパーリンクが利かないし、ほかにも写真の貼りつけ手順が違うものもある。手間と時間がかかって仕様がない。とくに旅先からは、いまだコピペのできないiPhoneだけでは対応できない。新しいOSが待ち遠しい。

 今月25日の
ハナノベチラシを、繁昌亭、ワッハ、トリイへ搬送する。そして、今日はトリイホールで師匠、米團治兄、今藤政之祐さんのコラボ落語会が行われる予定。

第176回「TORII寄席」(18時半開演)

『東の旅~発端』 桂   米市
『猿後家』    桂  まん我
『稽古屋』    月亭  八方
      仲入り
「長唄の魅力」  月亭  八方
         今藤 政之祐
         桂  米團治
長唄「昔話たぬき」今藤 政之祐
     三味線 松永和寿三郎
『小倉船』    桂  米團治

鳴 物:桂  米左
三味線:大川 貴子
手伝い:月亭 八斗/桂 團治郎

 三者三様のおもしろい企画であった。その中で師匠が楽しそうに落語をされているのが、弟子として嬉しくもあり、頼もしくもある。ギャラリーには小佐田・くまざわ両氏、歌之助くんや吉の丞くんの顔ぶれも。来週はここでわたしの会がある。今宵顔を出したことで、いい気のパワーをもらった。よーし、負けてはいられない。
 終演後は、階下の「
徳屋」で打ち上げたあと、法善寺「」へも、ちょっと寄・り・み・ち。
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Dr.ゴトー 

2009.5.31

 7時に目覚めたが、朝食は摂らず、シャワーのあと、急いで支度をして部屋を出た。
 9時50分、一行は車で長崎空港へ向かう。途中、長崎道諫早I.C手前で右手を見ると、八天岳が見える……はずなのだが……。あれがそうなのか。標高は296.7メートルとそんなに高くないから分からない。天狗で有名だそうだ。なにを隠そう、江戸の名横綱・稲妻大蔵に相撲を教えたのが、この八天狗。
 のちのち調べて分かったことだが、八天岳はもうひとつあるそうな。こちらは長崎と佐賀の県境にあり、標高707.1メートル。国見山山系。また、佐賀には別に八天山(土器山)もあるという。それぞれ、一度は行ってみたい。
 10時10分、長崎空港からORC311便で五島福江へ飛んだ。眼下には飛行にあわせて、大村湾、西彼杵半島、東シナ海に点在する島々が見えてくる。遠くで太陽光を跳ね返しているのが大島大橋。おやっ。地図を見れば、このあたりは角力灘(すもうなだ)と呼ばれている。またしても相撲に関連しているではないか。どんな由来があるのだろうか。
 五島列島には、いまから14、5年前に来た記憶がある。佐世保と五島の2カ所で「八方・雀三郎ふたり会」。三味線の吉崎律子さんも一緒だった。長崎から高速艇に乗って五島灘を渡ったが、船が揺れに揺れ、立っていることもできなかった。うちの師匠がトイレに行くのを見送ると、何度も柱や手すりにつかまり、ひっくり返りそうになっていたことを思い出す。あれはどこの島、どこの会場だったのか。わたしは『七度狐』をやったように思う。いや、『動物園』だったか。島のどこかの宴会場で地元の人たちと打ち上げて、旅館に泊めてもらった。風呂上がり、浴衣姿で、宿の二階の出窓に腰掛け、港の景色を見ながら、缶ビールを飲んだことも覚えている。
 今日は福江文化会館大ホールにおいての「文珍独演会」。隣は石田城跡。城山神社には立派な土俵がある。またまた相撲か。


 到着して荷物を置くなり食事に出た。「やぐら寿司」で、お刺身やお寿司をいただく。やはり魚が最高。お腹の調子も昨日よりマシになった。
 公演は13時から。お囃子もいいけれど、この島で落語をしてみたかったなぁ……。いつかまた絶対に来よう。今度は八天の会として。
 終演後、長崎へ引き戻して、大阪便に乗り継ぐ。伊丹着は18時55分。帰り道、鞄がやたら重く感じるのは疲れているせいか。

長崎はってん 

2009.5.30

 5時起き。支度をして外へ出た。快晴。朝陽が燦々と降り注ぐ。
 7時10分、大阪空港に到着。長崎行きJAL2371便に乗り込む。どうも体調が思わしくない。1時間のフライトに持ちこたえるだろうか。神経を狭めるとパニックを起こしそうになる。腰のベルトを緩め、気を落ち着けて、できるだけゆったりと……。
 空港から車で約40分。眼鏡橋のすぐ横、長崎市民会館に1年と3か月ぶりにやってきた。開演まで4時間ある。強烈に眠い。が、楽屋で寝るわけにもいかず。とはいえ、いつもなら周辺散歩に出かけるのだけど、今日は気分がすぐれないので外出したくない。なんじゃかんじゃしているうちに開場時間になった。
 今日の「文珍独演会」は14時開演。師があいだに長講『らくだ』を披露し、結局閉演は17時になった。なんと3時間コースの超出血大サービスだ。
 わたしはいつも、笛の演奏をしていないときは、舞台袖やステージ裏の機材道具置き場付近をウロウロして、ネタを繰ることが多いが、今日はとても奇妙なことが起こった。ほとんど明かりのない、平台や箱馬が積み上げられている隙間に立っていると、突然、上から右肩をグッと押された。なにかに引っ掛かったのか。いや、押されたのだ。たしかに上からの力で。振り返っても、そこは暗闇……だれもいない。ゾクゾクッとして、すぐにその場から離れた。
 長崎は公会堂でも過去に一度ある。わたしの高座中に作業服のユーレイが現れた事件。ま、オバケを怖いというより、愛すべき者達だとするわたしには、寄ってきやすいのかも知れない。……けど、やっぱり怖かった。
 打ち上げは、銅座の「銀鍋」という和食店へ。5年前にも来たことがある。お魚が旨い。ただ、わたしはポンポンがドンヨリと痛むので、酒を控え……、となると食も進まない。それでもよくいただいたほうだ。
 20時解散。師は数名を連れて思案橋のバーへ行かれた。わたしは重い胃を抱えて、ホテルに戻ってくると、市楼くんの誘いも断り部屋に入った。ここはグラバー邸のすぐそばに建つ。デッキから夜の港を眺めた。風が心地いい。

 

 とにかく横になりたい。
 それでもすぐには眠れない。ムクッと起き上がると、ベッドの上で『残月の譜』の稽古をはじめた。

歯止め 

2009.5.29

 16時過ぎ、野田阪神「日本盛」を訪れて、大水・渡邉氏に「HatTenファクトリイ」の前売チケットをお願いする。昨年の独演会でたいへん気に入っていただいた方々が、「次はいつあるねや」と言っていたところだとか。13、4人は来てくださるという。ありがたやありがたや。
 野田新橋商店街を通って、玉川「花ちりめん」にも顔を出した。御門氏は不在であったが、カウンターに座り合わせた方から、またまたチケットを求められた。こちらでも4人。さすがは師匠の地元、福島のみなさん。
 そのまま帰るつもりが、無性に餃子が食べたくなって、「大阪王将」に飛び込んだ。というのも昨夜遅く、田中啓文著「梅寿」の新作を監修した折、主人公・竜二が王将ならぬ玉将に入って、餃子にビールを頼むシーンが、潜在意識のどこかにこびりついていたからである。今日は夕方から飲んでいる。それに昨日から腹具合がイマイチ。もう飲めない。瓶ビールを頼んだものの、コップ1杯だけ飲んで引き揚げた。もちろん餃子は2人前平らげたのだが……。
 そうだ、この裏手に「BAR Quarter(クオーター)」が移転したらしい。以前の店を最後に訪れたのは、もう7年くらい前になるだろうか。いまはダーツ倶楽部になっている。ちょっとだけのぞいてみよう。性懲りもなく入っていった。メーカーズマークのソーダ割りを飲りながら、マスターと二言三言喋っているうちに、懐かしい出来事を次から次へと思い出してきた。なにせ太融寺での「HATTENプロジェクト会議」の打ち上げ2次会は、大抵ここの旧店を使ったものである。30になったころ……とにかく若かった。近況報告だけをして、またあらためて来ることを告げた。明日は早朝から長崎ツアーへ。もうぼちぼち帰らなければ……。
 それなのに、ああそれなのに……。帰ってから、カレーヌードルなんてやるから、余計胃に悪い。酔っているときは歯止めが利かない。ああ、だれか止めてぇ〜。

偶然 

 2009.5.28  朝8時過ぎ、新大阪駅中央改札前で待ち合わせしていると、米團治兄にお会いした。先方もこれから名古屋へ仕事に行かれるという。どうやら同じ新幹線だったようだ。  さて、こちらは愛知県勤労会館つるまいプラザにやってきた。「文珍独演会」の昼夜公演。今日は楽珍兄の代わりとして、珍念くんが起用された。彼の高座を見るのも久しぶり。相変わらず独特のアニメスタイル。  わたしは、どうも朝からお腹の調子がよくない。インフルエンザでも食あたりでもない。ただの不摂生だと思う。  帰りは名古屋駅ホームで九雀兄一行にバッタリ。列車に乗り込むと、今度は同じ車両の同じ並び……。偶然とはいえ、ビックリ仰天。行きも帰りも、会うときは会うものざんす。シェー!
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HN:
月亭八天
年齢:
64
HP:
性別:
男性
誕生日:
1960/09/12
職業:
落語家
自己紹介:
上方落語家・月亭八天
 1960年(昭和35)、大阪市中央区日本橋1丁目(日本一)生まれ。近畿大学在学中はミナミのライブハウスで弾き語りをしながら、音楽アーティストを夢見ていたが、次第に子どものころから憧れていた落語家を志望するようになる。4年間の落語浪人を経て、1986年(昭和61)3月、大学卒業と同時に月亭八方師に入門。
 京・大坂の風俗と人情を生き生きと描いた上方落語を演じるべく、落語に登場する生活風俗や舞台となった大阪の町などを徹底的に考察することを身上とし、「八天流」の芸を追求している。また歌舞伎や文楽など古典芸能にも造詣が深く、数少ない寄席の囃子方として笛を受け持つ。
 1996年(平成8)5月、なにわ芸術祭落語部門最優秀新人賞受賞。併せて大阪府知事賞、大阪市長賞受賞。また平成9年度大阪府芸術劇場奨励新人に指定。
 精力的に地域寄席をプロデュースしており、「十三寄席 噺のにぎわい」(大阪・十三)をはじめ、「八天の会」(大阪・森之宮)、「兵庫八天の会 やなぎはらYEBISU亭」(神戸・柳原)「HATTENプロジェクト会議」(大阪・梅田)」など、大阪、神戸の各地域で独演会形式の落語会を開催。また地域寄席「上新庄えきまえ寄席」では、「HATTENらくごワールド」と題し、年2回(2月・8月)、3席ネタ卸しに挑戦。2006年春からは、坂田三吉で有名な通天閣を見上げる将棋屋で「新世界ジャンジャン寄席」が、大阪市中央公会堂では、小説家・田中啓文氏とのコラボレーション「落語再生公開堂 ハナシをノベル!!」が、2007年から国立国際美術館(肥後橋)で「月亭八天のアートな落語会 みゅ〜じあむ亭」が、なんばパークスの書店では「&音寄席 大大阪大八天の会」がスタート。
 その集大成として、毎秋、ワッハホール(大阪・なんば)での独演会で、聞けば幸せになる八天の「しあわせ落語」を結実させている。ただいま東京での独演も計画中。
 芸歴20周年を記念して「HATTENカーニバル」と題した感謝祭が様々な形で展開。
 2005年11月の「第10回 月亭八天独演会(320名動員)」を皮切りに、12月に〜兵庫八天の会〜「第10回 やなぎはらYEBISU亭(100名動員)」、2006年3月16日の入門記念日を挟んで10日間の連続公演「ALL THAT HATTEN 10days(通算300名動員)」、4月に「第30回 十三寄席 噺のにぎわい(新僑飯店宴会場にて300名動員)」、6月に「第20回 RENEWAL八天の会(大阪KKRホテルにて280名動員)」、11月に「第11回 月亭八天独演会」と続く。
 1997年(平成9)から、自作のホームページ「HATTEN WORLD」を開設。落語会の案内、入門秘話など豊富なコンテンツを掲載している。「DIARY」では日記を公開。落語会の様子、稽古の苦悩、他の落語家たちとの交流などを書いて好評を得ている。毎日更新中。