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懐かしい味 

 2009.7.3

 NGKを出て、黒門市場をブラブラ。久しぶりに「ニューダルニー」のカレーを食べた。この店のカレーは「シンプル イズ ベスト」という言葉がよく似合う。子どものころ、食べた懐かしい味は、いまも変わらない。
 そういえば、日本一の「凡」という喫茶店の焼きめしも旨かったなあ。風邪を引いて学校を休んだときも、交通事故で入院していたときも、ここの焼きめしを出前でとってもらった。あの店はいま‥‥。
 そんなことを考えながら、下寺町から源聖寺坂を上がる。神社横の公園は、草ぼうぼうで、子どもすら遊んでいない。ああ、もうすぐ祭か。
 生玉の実家へちょっと顔を出して、帰宅の途についたのは16時過ぎ。ああ、雨が降り出してきた。
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お好み焼きじゃけ 

2009.6.28

 予報では雨だと言われていたが、外へ出るとカンカン照りの暑さ。
 広島国際会議場フェニックスホールは、平和公園の中にある。昨日同様、広島ホームテレビ主催「文珍独演会」は、13時スタート。
 楽屋に広島風お好み焼きの差し入れがあった。お弁当を食べたあとだけに、もう腹に入らない。それでなくとも、弁当のおにぎりは半分残した。でもちょっとだけ。甘辛〜いソースが旨い。これでビールをキューッと……。いけない。まだ公演中だった。
 このたびのツアーで、広島にいる、大学時代に所属していたサークルの先輩に連絡をとった。なんでも来月から、ひと月以上入院されるという。それなのに昨日、晩飯を一緒にどうかと誘っていただいた。メンバーとの打ち上げがあったので、残念ながら断ることになったが、いつか必ずと再会を約束した。それにしてもうれしい話だ。どうか無事手術を終え、一日も早く退院され、回復されることを祈りたい。
 広島は好きな町のひとつだ。そして今回、より一層好きになった気がする。

広島の夜 

 2009.6.27

 一夜明けた。1時間もまともに眠っていない。茫然自失のまま、広島県福山へと向かった。さすがに今朝は、立ち食いそばもハンバーガーもない。道中、次の会の稽古に勤しむ。
 
リーデンローズ・ふくやま芸術文化ホールにおいての「文珍独演会」は13時開演。
 終演後、広島へ移動し、一旦ホテルで休息の時間をとった。窓から平和記念公園や原爆ドームが望める。ちょうど真下には、元安川のかき船。情緒たっぷりの座敷で、本場の牡蠣を味わいながら、広島の地酒をグビリと飲りたいものだ。

 19時、メンバーやマネージャー一行と魚菜家へ。その後も夜の広島を徘徊。ベッドに潜り込んだのは4時半だったような……。

睡眠障害 

2009.6.4

 睡眠障害の原因はほかにもあった。横に寝ているみるくの寝相が悪いことだ。夜中、いきなり足で腰の辺りを蹴り上げられたり、振り上げた手がわたしの顔面を襲ってきたり。2時間に1度は跳ね上げた布団をかけなおしてやる。わずか3畳に5人も寝ているのだから仕方ない。
 彼らが起きるころに、こちらが寝る。朝は朝とて、戦場のような慌ただしさ。怒号に奇声に激しい物音。まともに眠れるのは1時間か2時間か。これでは仕事にも差し支える。早く住居改善したいものだ。
 トリイのネタでネックになるのは、やはり『残月の譜』の笛。3席目で、しかもネタの後半。口の中が乾ききったころに吹かなければならない。笛を吹くときと喋るときは、当然ながら唇の形が違う。うまく音が出せるか。すぐに突っ込めるか。ここらが勝負である。
 今日もボウッとした頭を覚醒するのは、酒しかない。飲めば眠れないことを知りながら……。

軍艦島 

 2009.6.2

 先日、五島福江から長崎へ飛ぶ機内から軍艦島を発見。
 以前から軍艦島の存在は気になっていた。端島というのが正式名称だが、島の形が軍艦に似ているところから、通称軍艦島。かつて海底炭鉱として栄えた島で、明治23年以降は三菱が所有し、日本の近代化を支えてきた。昭和35年には、人口密度が世界一に達したというからすごい。島内には炭鉱施設や住宅のほか、小、中学校、店舗、病院、寺、映画館、理容、美容院、パチンコ店、雀荘、スナックなどがあり、一大都市機能を有していた。中でも大正5年に建てられた鉱員の社宅、30号棟は日本初の鉄筋コンクリート造りの高層アパートとして知られる。しかし、主なエネルギーが石炭から石油へと移行し、昭和49年に閉山。その後、無人島になってしまった。人のいなくなった建物は、しだいに老朽、崩壊し、廃墟と化す。そして、島内への立ち入りも禁止された。
 ところが、昨今の廃墟ブームからマニアなカメラマンや心霊スポット探しの連中が密航し、お忍びで侵入。ネット上にも様々な写真が公開されている。数年前、わたしはそれを見て、強く心を惹かれた。一度行ってみたい、と。怖いもの見たさというより、ここに住んでいた人たちの温もりが、無数の瓦礫や残骸の中に残っているように思えたから。  現在の所有者である長崎市は、建物の危険箇所の一部を修復、整備し、この4月から上陸を解禁した。一般に見学ができるようになったのだ。実に35年ぶり。テレビのコマーシャルでもご存知の通り、世界遺産の候補にまで挙がっている。
 こうなれば、なんとしてでも行ってみたい。旅行社が組んだツアーもあるが、天候に左右され、安全基準をクリアする日数は、年に100日くらいしかないという。それを目的にわざわざ長崎まで行って、島へ渡れなかったら意味がない。長崎方面の仕事があれば、ひとり居残って行ってみようか。
 軍艦島で廃墟落語会を……???
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HN:
月亭八天
年齢:
64
HP:
性別:
男性
誕生日:
1960/09/12
職業:
落語家
自己紹介:
上方落語家・月亭八天
 1960年(昭和35)、大阪市中央区日本橋1丁目(日本一)生まれ。近畿大学在学中はミナミのライブハウスで弾き語りをしながら、音楽アーティストを夢見ていたが、次第に子どものころから憧れていた落語家を志望するようになる。4年間の落語浪人を経て、1986年(昭和61)3月、大学卒業と同時に月亭八方師に入門。
 京・大坂の風俗と人情を生き生きと描いた上方落語を演じるべく、落語に登場する生活風俗や舞台となった大阪の町などを徹底的に考察することを身上とし、「八天流」の芸を追求している。また歌舞伎や文楽など古典芸能にも造詣が深く、数少ない寄席の囃子方として笛を受け持つ。
 1996年(平成8)5月、なにわ芸術祭落語部門最優秀新人賞受賞。併せて大阪府知事賞、大阪市長賞受賞。また平成9年度大阪府芸術劇場奨励新人に指定。
 精力的に地域寄席をプロデュースしており、「十三寄席 噺のにぎわい」(大阪・十三)をはじめ、「八天の会」(大阪・森之宮)、「兵庫八天の会 やなぎはらYEBISU亭」(神戸・柳原)「HATTENプロジェクト会議」(大阪・梅田)」など、大阪、神戸の各地域で独演会形式の落語会を開催。また地域寄席「上新庄えきまえ寄席」では、「HATTENらくごワールド」と題し、年2回(2月・8月)、3席ネタ卸しに挑戦。2006年春からは、坂田三吉で有名な通天閣を見上げる将棋屋で「新世界ジャンジャン寄席」が、大阪市中央公会堂では、小説家・田中啓文氏とのコラボレーション「落語再生公開堂 ハナシをノベル!!」が、2007年から国立国際美術館(肥後橋)で「月亭八天のアートな落語会 みゅ〜じあむ亭」が、なんばパークスの書店では「&音寄席 大大阪大八天の会」がスタート。
 その集大成として、毎秋、ワッハホール(大阪・なんば)での独演会で、聞けば幸せになる八天の「しあわせ落語」を結実させている。ただいま東京での独演も計画中。
 芸歴20周年を記念して「HATTENカーニバル」と題した感謝祭が様々な形で展開。
 2005年11月の「第10回 月亭八天独演会(320名動員)」を皮切りに、12月に〜兵庫八天の会〜「第10回 やなぎはらYEBISU亭(100名動員)」、2006年3月16日の入門記念日を挟んで10日間の連続公演「ALL THAT HATTEN 10days(通算300名動員)」、4月に「第30回 十三寄席 噺のにぎわい(新僑飯店宴会場にて300名動員)」、6月に「第20回 RENEWAL八天の会(大阪KKRホテルにて280名動員)」、11月に「第11回 月亭八天独演会」と続く。
 1997年(平成9)から、自作のホームページ「HATTEN WORLD」を開設。落語会の案内、入門秘話など豊富なコンテンツを掲載している。「DIARY」では日記を公開。落語会の様子、稽古の苦悩、他の落語家たちとの交流などを書いて好評を得ている。毎日更新中。